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<<   作成日時 : 2012/01/22 14:48   >>

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 私は日本生まれの日本人だから、宗教的に言えば神徒か仏教徒ということになるでしょう。結婚式は神前だったし父母の葬儀や法要は田舎で檀家になっている寺の住職に頼んでやって来ました。しかし、自分が神徒だとも仏教徒だとも思っているわけではありません。信仰というものがあるわけでもありません。でも、宗教に関心は持っていて折りがあれば経典や解説書のようなものも読んで来たので知識はそこそこにはあると思っています。
 そんな中で仏教は基督教や回教とは本質的に違う宗教ではないかと思って来ました。だから、この本を知った時にはぜひ読みたいと思って購入しました。これが分厚い専門書のようなものだったら読む気はしなかったでしょうが、幸い一般向けの新書です。少し堅いとは言えますがそう読みにくい本ではありません。
 日本の仏教といえば、インドから中国に伝わったものの孫請けであるのは誰でも知っていることです。お教だって多くの人は意味もわからないものを有難がっているに過ぎないのです。でも本来はそうではなかったはずです。この本は釈迦が生きていたころのインドの言葉であるパーリー語やサンスクリット語で書かれた原典も読み解いて書かれたものです。私の仏教感も2次元的から3次元的になったと言ってもいい本です。
 仏教は宗教ではあっても信仰でありません。「バチがあたる」 なんてことは本来の仏教にはなかったことのようです。「安心感を与えるのが本来の仏教であった。人に恐怖心を与えて布施を強要することなど、あり得べからざることであった」(p.33) 「・・・嫌なことを他者にしてはならないし、喜ばれることをしてあげるべきだというのである。ここには、神様は出てこない。もしもここに神様というものを介在させるならば、『神様のために人を殺す』ことは正義であるという人が出てこないとも限らない。ということは、神様が目的で、人間が手段化されるのである。仏教では、神様なしに、人間対人間という現実の関係において倫理が説かれた」(p.43) 「本来の仏教は、自覚を重視した崇教であると言っても過言ではない」(p.44)  「仏教は自覚の宗教であり、納得することを重視していたことを知らなければならない」(p.173)。
 葬式仏教・儀式仏教は釈迦の教えとは無縁のものだったはずです。「現在のような葬送儀礼が定着したのは、江戸時代の檀家制度の影響が大である」(p.204) 「釈尊を荼毘に付したときに、どのお経を読んだのであろうか。そんなものはあるはずがない。釈尊の語ったことを短文にして口伝えに語っていたであろうが、それは葬式のためのものではない。いかに生きるかに関するものであった」(p.200) 「・・・『法要』は『説く』べきものであった。ところが、わが国では『法要を営む』というように用いられて、仏教の儀式を意味する言葉になってしまっている。『教えの本質よりも『儀式』『形式』を重んずる傾向ゆえであろう」(p.204)。「原始仏教では、死者の救いは、葬儀のいかんによるのではなく、亡くなった人自身の徳によるとしていた。従って、釈尊は出家者が葬儀にかかわることを禁じていた」(p.204)。「釈尊は、出家して袈裟を着ていたが、その袈裟はチャンダーラが身に着けていたものである。袈裟は「薄汚れた色」あるいは「黄赤色」を意味するサンスクリット語のカシャーヤを音写したものである。その衣は、墓地に捨てられた死体をくるんでいたものである。死体が猛獣に食べられた後、布の破片が散らばっているのを拾い集め、洗ってつなぎ合わて衣にしていたのだ。死体の体液の染みで汚れ、黄赤色になっていることから、その衣はカシャーヤと呼ばれていた。あるいは、パーンスクスクーラ(拾い集めたぼろ布で作った衣)と言われることもあり、それは「糞掃衣(ふんぞうえ)」と音写された」(p.16) 「戒名という言葉も仏典には出てこない。わが国で近世になって始まったものである」(p.201) 「細長い板に切込みを入れ、亡くなった家族の追善のために墓の脇に立てることを発案し、それを卒塔婆、あるいは塔婆と呼び、それらの原語であったストゥーパのほうを『塔』と呼んで区別した。こうして、定期的に塔婆供養を実施することが奨励されたのである。もともと土を盛った『墓』であったストゥーパ(卒塔婆)を墓の脇に立てるのは『屋上に屋を架す』ようなものである。(p.202)
 釈迦は身分による差別・性による差別を認めていなかったのです。「釈尊は人を賎しくするのも、貴くするのも、その人の行為いかんによるとして「生まれ」による差別を否定したのであった」(p.16)「サンスクリット語では『母と父』という語順になっている。ところが、漢訳段階で『父母』と順番が入れ換えられた。中国では儒教倫理の国、男尊女卑の国であるから『女性を先に言うなんてとんでもない』というので入れ換えたのだろうと思われる」(p.74).。

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